北京で中国茶まみれ
北京で中国政府の発行する「中級茶芸師」の資格取得を 目指し勉強を始めました。 中国茶、中国茶芸に興味のある方、勉強している方、 したいと思っている方々と学習の過程を共有できればと思っています。
2007.11.10
宋の次は元代です。
元の時代、民衆は非漢民族であるフビライ統治に反発して
戦ばかりで社会的に不安定で、文化や茶に関して
あまり進歩はありませんでした。
洪武帝が元政権を転覆させ、漢民族による統治を取り戻した
明の時代に入ってから茶もまた進展します。
宋の二の舞を踏むまいと、洪武帝は、餅茶の精製つまるところ
闘茶を禁止しました。
餅茶を禁止されたことで、餅茶文化が中心だった茶界では
散茶(ばら茶)が旺盛になります。
大衆も、お茶に関しての知識を身につけだし、茶をそのまま
湯にいれると成分が無駄に流出してしまう事などを
知るようになり、その過程で「炒青」の技術が生まれました。
「炒青」とは「殺青」の手段の一つで、「殺青」とは葉を高温処理し、
葉の酸化成分である「酵素」細胞を破壊し、
発酵(要するに腐ること)を止めてしまう技術で、
「炒青」は高温処理に、釜で炒める手段をとります。
炒青技術が生まれた事で、散茶文化が社会に流行します。
明代の散茶には緑茶、紅茶、黄茶、白茶、黒茶の5種がありました。
そして時代は更に清代に入り、中期になって青茶(烏龍茶)が登場します。
この時をもって、六代原味茶が全て出揃いました。
元の時代、民衆は非漢民族であるフビライ統治に反発して
戦ばかりで社会的に不安定で、文化や茶に関して
あまり進歩はありませんでした。
洪武帝が元政権を転覆させ、漢民族による統治を取り戻した
明の時代に入ってから茶もまた進展します。
宋の二の舞を踏むまいと、洪武帝は、餅茶の精製つまるところ
闘茶を禁止しました。
餅茶を禁止されたことで、餅茶文化が中心だった茶界では
散茶(ばら茶)が旺盛になります。
大衆も、お茶に関しての知識を身につけだし、茶をそのまま
湯にいれると成分が無駄に流出してしまう事などを
知るようになり、その過程で「炒青」の技術が生まれました。
「炒青」とは「殺青」の手段の一つで、「殺青」とは葉を高温処理し、
葉の酸化成分である「酵素」細胞を破壊し、
発酵(要するに腐ること)を止めてしまう技術で、
「炒青」は高温処理に、釜で炒める手段をとります。
炒青技術が生まれた事で、散茶文化が社会に流行します。
明代の散茶には緑茶、紅茶、黄茶、白茶、黒茶の5種がありました。
そして時代は更に清代に入り、中期になって青茶(烏龍茶)が登場します。
この時をもって、六代原味茶が全て出揃いました。
PR
2007.11.09
宋は茶の歴史上、極めて重要な時期です。
「茶盞」という四角い大きな杯が登場し、
これに、粉にしたお茶をいれ、たてて飲む
「点茶」が始まりました。
これは湯だけ飲んで、茶殻は捨てます。
社会的には「闘茶」という、お茶に関して競う風習が流行り、
どこで摘んできたお茶か、とかを当て合って知識を競いました。
皇帝やら政治に関わる人達まで茶にかまけ、
そのうち次第に政治が廃れ、社会も廃れていって、
最終的に宋が滅亡に至ったのにも関係がありそうです。
茶の影響力の大きさが伺えます。
宋の「点茶」は、日本に伝わります。
1191年、栄西禅師が中国からお茶の種を日本へ持ち帰り、
栽培を始めました。空海達は、ただ茶を飲むだけで、
言ってみれば中国人の見よう見まねでしたが、
栄西禅師は日本独自の作法やらを築き、「茶道」が誕生します。

よって栄西禅師こそが日本茶の始祖とされています。
栄西禅師は著書<<喫茶養生記>>も残しました。
なお日本の茶道には、抹茶道と煎茶道があるそうですが、
栄西禅師が始めたのはいわゆる抹茶道です。
「茶盞」という四角い大きな杯が登場し、
これに、粉にしたお茶をいれ、たてて飲む
「点茶」が始まりました。
これは湯だけ飲んで、茶殻は捨てます。
社会的には「闘茶」という、お茶に関して競う風習が流行り、
どこで摘んできたお茶か、とかを当て合って知識を競いました。
皇帝やら政治に関わる人達まで茶にかまけ、
そのうち次第に政治が廃れ、社会も廃れていって、
最終的に宋が滅亡に至ったのにも関係がありそうです。
茶の影響力の大きさが伺えます。
宋の「点茶」は、日本に伝わります。
1191年、栄西禅師が中国からお茶の種を日本へ持ち帰り、
栽培を始めました。空海達は、ただ茶を飲むだけで、
言ってみれば中国人の見よう見まねでしたが、
栄西禅師は日本独自の作法やらを築き、「茶道」が誕生します。

よって栄西禅師こそが日本茶の始祖とされています。栄西禅師は著書<<喫茶養生記>>も残しました。
なお日本の茶道には、抹茶道と煎茶道があるそうですが、
栄西禅師が始めたのはいわゆる抹茶道です。
2007.11.08
中国茶の発展史その2です。
前回は、超古代の原始社会の茶について勉強しました。
原始社会の茶の位置づけは薬でしたが、次第に現在へ至る飲み物としてのお茶文化、
更には茶芸の発展へと繋がっていきます。
今回は、飲み物としての茶及び茶芸の観点から歴史をみていきます。
1.神農の時代
2.生煮羹飲の時代(生の茶をあつものにして食べる)
3.蒸青塑型の時代(加工工芸の芽生え)
4.(隋の時代)
5.唐の時代:餅茶
6.宋の時代:興貢茶、龍団鳳餅、煮茶
7.(元の時代)
8.明の時代
9.清の時代
1~3に区分される時代は、前回書いた炎帝・神農氏と茶の出会いから、
茶を乾燥・圧縮するに至る過程です。
今回はその後の茶の発展をみます。
さて隋の時代には、日本から遣隋使がされました。
でも、隋の時代は短いので、茶の発展を語る上では特に大きな事件はありません。
茶が本格的な発展を遂げるのは5.唐の時代から。
唐は中国の歴史の中でも、文化が最も栄えた時代です。
政治、社会ともに安定していたため、人民の生活も落ち着いており、
そういう環境の下で、茶を含めた文化を養っていきます。
李白、杜甫、白居易(白楽天)とか中国文学史上に輝く偉大な詩人達も唐の時代が全盛期です。
文人たちはお茶を楽しみながら詩作りを楽しんでいたそうです。
唐の時代の人々は、主に蒸して固形にした茶、餅茶を、煮たり、または砕いて
湯にいれて飲んでいたようです。
因みに餅とは、中国語で円盤状の形状を指します。よって餅茶とは円盤形に固められた茶です。
別にネバネバしたモチみたいな茶じゃありません。
更に641年、文成公主(唐皇帝の皇女)が現チベットの吐蕃王朝ソンツェン・ガンポ王のもとへ
嫁ぐことになりました。チベットでは肉とか乳製品が主食で、野菜をあまり食べません。
そこで文成公主はブチキレました。なんでコイツらこんなに肉ばっかり食うのか!!、と。
あたしこんなの耐えられない!!って事で、お茶が大好きな文成公主は茶をチベットまで
取り寄せました。お前どんだけお茶好きなんだよ、と。お茶好きにも程があります。
茶を取り寄せた文成公主は恐いものなし。無敵。現地で手に入るミルク(たぶん羊乳)に
茶をいれてみました。
公主:うまぁぁーーーー!!!
ミルクティーが誕生した瞬間です。肉は消化が悪いですが、
茶を摂取することでその問題も解決することができました。
さて、唐の時代といえば忘れてはならないのが遣唐使。
この遣唐使達が日本の茶文化の発展に貢献します。
隋の時代にも、遣隋使たちが中国に来て、中国人達にお茶を飲む習慣がある事を知っては
いたのですが、ただそういう習慣があるんだと認識していたのみ。
日本人が茶の勉強を始めたのは、唐の時代になってから。代表的な人物は空海と最澄の師弟。
この2人は中国人の茶の飲み方を勉強しました。
しかも地位が高かったので、天皇やらとの交流も多く、空海は嵯峨天皇に茶を献上しました。
更に一歩進んで、最澄は今度は中国から茶の種を日本へ持ち帰り、近江坂本の日吉神社に植えました。
それまで、日本には原産の茶はありませんでした。
よって、これが日本における茶の最初の出現という事になります。
なお日本最古の茶園は今でも、日吉神社内に日吉茶園として現存しています。
それにしても最澄はよく茶の種を持って帰りましたね。中国もよく持って帰らせましたね。
今だったら物凄いロイヤリティーが派生しそうです。絶対タダじゃ持ち帰れないでしょう。
次は宋の時代です。宋の時代は中国茶の歴史において、
そして日本の茶道の歴史において非常に重要な時期です。
前回は、超古代の原始社会の茶について勉強しました。
原始社会の茶の位置づけは薬でしたが、次第に現在へ至る飲み物としてのお茶文化、
更には茶芸の発展へと繋がっていきます。
今回は、飲み物としての茶及び茶芸の観点から歴史をみていきます。
1.神農の時代
2.生煮羹飲の時代(生の茶をあつものにして食べる)
3.蒸青塑型の時代(加工工芸の芽生え)
4.(隋の時代)
5.唐の時代:餅茶
6.宋の時代:興貢茶、龍団鳳餅、煮茶
7.(元の時代)
8.明の時代
9.清の時代
1~3に区分される時代は、前回書いた炎帝・神農氏と茶の出会いから、
茶を乾燥・圧縮するに至る過程です。
今回はその後の茶の発展をみます。
さて隋の時代には、日本から遣隋使がされました。
でも、隋の時代は短いので、茶の発展を語る上では特に大きな事件はありません。
茶が本格的な発展を遂げるのは5.唐の時代から。
唐は中国の歴史の中でも、文化が最も栄えた時代です。
政治、社会ともに安定していたため、人民の生活も落ち着いており、
そういう環境の下で、茶を含めた文化を養っていきます。
李白、杜甫、白居易(白楽天)とか中国文学史上に輝く偉大な詩人達も唐の時代が全盛期です。
文人たちはお茶を楽しみながら詩作りを楽しんでいたそうです。
唐の時代の人々は、主に蒸して固形にした茶、餅茶を、煮たり、または砕いて
湯にいれて飲んでいたようです。
因みに餅とは、中国語で円盤状の形状を指します。よって餅茶とは円盤形に固められた茶です。
別にネバネバしたモチみたいな茶じゃありません。
更に641年、文成公主(唐皇帝の皇女)が現チベットの吐蕃王朝ソンツェン・ガンポ王のもとへ
嫁ぐことになりました。チベットでは肉とか乳製品が主食で、野菜をあまり食べません。
そこで文成公主はブチキレました。なんでコイツらこんなに肉ばっかり食うのか!!、と。
あたしこんなの耐えられない!!って事で、お茶が大好きな文成公主は茶をチベットまで
取り寄せました。お前どんだけお茶好きなんだよ、と。お茶好きにも程があります。
茶を取り寄せた文成公主は恐いものなし。無敵。現地で手に入るミルク(たぶん羊乳)に
茶をいれてみました。
公主:うまぁぁーーーー!!!
ミルクティーが誕生した瞬間です。肉は消化が悪いですが、
茶を摂取することでその問題も解決することができました。
さて、唐の時代といえば忘れてはならないのが遣唐使。
この遣唐使達が日本の茶文化の発展に貢献します。
隋の時代にも、遣隋使たちが中国に来て、中国人達にお茶を飲む習慣がある事を知っては
いたのですが、ただそういう習慣があるんだと認識していたのみ。
日本人が茶の勉強を始めたのは、唐の時代になってから。代表的な人物は空海と最澄の師弟。
この2人は中国人の茶の飲み方を勉強しました。
しかも地位が高かったので、天皇やらとの交流も多く、空海は嵯峨天皇に茶を献上しました。
更に一歩進んで、最澄は今度は中国から茶の種を日本へ持ち帰り、近江坂本の日吉神社に植えました。
それまで、日本には原産の茶はありませんでした。
よって、これが日本における茶の最初の出現という事になります。
なお日本最古の茶園は今でも、日吉神社内に日吉茶園として現存しています。
それにしても最澄はよく茶の種を持って帰りましたね。中国もよく持って帰らせましたね。
今だったら物凄いロイヤリティーが派生しそうです。絶対タダじゃ持ち帰れないでしょう。
次は宋の時代です。宋の時代は中国茶の歴史において、
そして日本の茶道の歴史において非常に重要な時期です。
2007.11.06
第1課では茶器の紹介をしました。
第2課では早速、茶をいれてみましょう。今回は人参烏龍茶をいれてみます。
人参烏龍茶は、高麗人参の粉末をまぶした烏龍茶で、ほんのりした甘味が特徴の茶です。
分類上は添加味茶になるのですが、淹れ方は通常の烏龍茶と同じと思ってください。
手順1:茶壷を温める(温壷)。
温壷は、そのまんま壷を温めるのが目的です。
次に本格的に湯を淹れる際に、湯の温度が壷に吸収される
のを防ぎます。
茶壷に湯を張ります。壷の3分の1から半分ぐらい注げばいいでしょう。
壷を揺すり、壷全体を温めます。
手順2:茶海、茶漉し、茶杯を温める。
壷を温め終わったら、その湯を今度は茶海へ注ぎます。

更に茶海から茶杯へ・・・と移していき、
使用する茶器を全て温めてしまいましょう。
茶器を温め終わった残り湯は茶船に捨てます。
手順3:茶壷に茶葉をいれる。
人参烏龍茶の葉は球状です。
球状の葉は、見た目では実際の分量が測りづらいので、
重さで判断するのがベスト。
後にかなり膨張するので入れすぎに注意。
最終的には各人の好みですが、一般的に
湯150mlに対して茶葉3g~5gが適量です。
茶壷の底が隠れるぐらいの量を目安にしましょう。
手順4:茶壷に軽く湯を注ぎ、捨てる(温潤泡)。湯は95~100度。
湯は95~100度というのがポイントです。低温はNG。
この湯はまだ飲みません。
目的は、球状の茶葉を軽くほぐし、開かせる事です。
球状の茶葉は成分の流出の際にムラがあるので、
それを防いで、茶湯の濃淡を均一にするのが目的です。

湯を淹れたあと、軽く待ってすぐ捨てます。
因みに、左の写真ではどんぶりを
茶船代わりに使用してます。

若干蒸らしたことで微妙に葉が緩みました。
もうちょい開かせてもいいかもしれません。
手順5:第1煎目を淹れる

95~100度の湯を壷の淵まで淹れます。満タンです。
泡が浮いてくるので、蓋で壷の淵を一周グルッと
回して泡を切ります。
1分間待ちます。
待つ時間は茶葉の形状で決まります。
球形や半球形(鉄観音など)の茶葉は1分。
ばら形(大紅袍など)は30秒が目安です。
2煎目からは、更に15秒ずつ加算していってください。
人参烏龍なら、2煎目は45秒、3煎目は1分、
4煎目は1分15秒・・・といった具合です。
手順6:茶壷から茶海へ移す。
濾網を茶海にセットしておきます。
茶壷から茶海へ一気に茶湯を注ぎます。
壷を垂直まで傾けると本格的です。
茶壷の湯は全部出し切ります。
湯が壷に残ったままだと、以後の味に影響します。

1煎目を入れ終えた後の茶葉。
見た目少なかった球形の茶葉が
ここまで膨張しました。
手順7:茶海から茶杯へ。
いよいよラスト。どうでしょう、この綺麗な湯の色。
湯の見た目を楽しむのも中国茶ならでは。
この段階で既に人参烏龍の良い香りが
立ち込めてます。茶海の茶湯を茶杯へ注ぎ分けます。
先ず、聞香杯へ注ぎます。
聞香杯を使わない場合、省略して構いません。

聞香杯を左手で持ち、杯を廻しながら
品茗杯へと湯を移します。
聞香杯の残り香を嗅いでみてださい。
高温、中温、冷温で香りの変化を楽しみます。
最後に、品茗杯で味を楽しみます。
人参烏龍茶の、ほんのりした甘味を楽しんでください。
茶海の湯を飲み終えたら、手順5に戻って第2煎目を。
基本的に烏龍茶は耐久性があるので、数煎は飲めます。
ただ人参烏龍茶は、まぶしてある人参の粉末が1煎目でかなり
流れ出てしまうので、人参の甘味は落ちていきます。
茶によっては煎を重ねるごとに甘味が出たりするので、
その辺の変化も楽しんでみましょう。
上質の鉄観音だと10回ぐらい味わえます。
第2課では早速、茶をいれてみましょう。今回は人参烏龍茶をいれてみます。
人参烏龍茶は、高麗人参の粉末をまぶした烏龍茶で、ほんのりした甘味が特徴の茶です。
分類上は添加味茶になるのですが、淹れ方は通常の烏龍茶と同じと思ってください。
手順1:茶壷を温める(温壷)。
次に本格的に湯を淹れる際に、湯の温度が壷に吸収される
のを防ぎます。
茶壷に湯を張ります。壷の3分の1から半分ぐらい注げばいいでしょう。
壷を揺すり、壷全体を温めます。
手順2:茶海、茶漉し、茶杯を温める。
壷を温め終わったら、その湯を今度は茶海へ注ぎます。
更に茶海から茶杯へ・・・と移していき、
使用する茶器を全て温めてしまいましょう。
茶器を温め終わった残り湯は茶船に捨てます。
手順3:茶壷に茶葉をいれる。
球状の葉は、見た目では実際の分量が測りづらいので、
重さで判断するのがベスト。
後にかなり膨張するので入れすぎに注意。
最終的には各人の好みですが、一般的に
湯150mlに対して茶葉3g~5gが適量です。
茶壷の底が隠れるぐらいの量を目安にしましょう。
手順4:茶壷に軽く湯を注ぎ、捨てる(温潤泡)。湯は95~100度。
この湯はまだ飲みません。
目的は、球状の茶葉を軽くほぐし、開かせる事です。
球状の茶葉は成分の流出の際にムラがあるので、
それを防いで、茶湯の濃淡を均一にするのが目的です。
湯を淹れたあと、軽く待ってすぐ捨てます。
因みに、左の写真ではどんぶりを
茶船代わりに使用してます。
若干蒸らしたことで微妙に葉が緩みました。
もうちょい開かせてもいいかもしれません。
手順5:第1煎目を淹れる
95~100度の湯を壷の淵まで淹れます。満タンです。
泡が浮いてくるので、蓋で壷の淵を一周グルッと
回して泡を切ります。
待つ時間は茶葉の形状で決まります。
球形や半球形(鉄観音など)の茶葉は1分。
ばら形(大紅袍など)は30秒が目安です。
2煎目からは、更に15秒ずつ加算していってください。
人参烏龍なら、2煎目は45秒、3煎目は1分、
4煎目は1分15秒・・・といった具合です。
手順6:茶壷から茶海へ移す。
茶壷から茶海へ一気に茶湯を注ぎます。
壷を垂直まで傾けると本格的です。
茶壷の湯は全部出し切ります。
湯が壷に残ったままだと、以後の味に影響します。
1煎目を入れ終えた後の茶葉。
見た目少なかった球形の茶葉が
ここまで膨張しました。
手順7:茶海から茶杯へ。
湯の見た目を楽しむのも中国茶ならでは。
この段階で既に人参烏龍の良い香りが
立ち込めてます。茶海の茶湯を茶杯へ注ぎ分けます。
先ず、聞香杯へ注ぎます。
聞香杯を使わない場合、省略して構いません。
聞香杯を左手で持ち、杯を廻しながら
品茗杯へと湯を移します。
聞香杯の残り香を嗅いでみてださい。
高温、中温、冷温で香りの変化を楽しみます。
人参烏龍茶の、ほんのりした甘味を楽しんでください。
茶海の湯を飲み終えたら、手順5に戻って第2煎目を。
基本的に烏龍茶は耐久性があるので、数煎は飲めます。
ただ人参烏龍茶は、まぶしてある人参の粉末が1煎目でかなり
流れ出てしまうので、人参の甘味は落ちていきます。
茶によっては煎を重ねるごとに甘味が出たりするので、
その辺の変化も楽しんでみましょう。
上質の鉄観音だと10回ぐらい味わえます。
2007.11.04
茶芸編では中国茶の作法を勉強します。
緑茶、白茶、黄茶、紅茶、黒茶、青茶(=烏龍茶)の各それぞれに
決められた作法があるのですが、先ずは烏龍茶の作法から入ってみましょう。
茶芸も奥が深く、本格的にやるとかなり凝ったものとなります。
茶芸師には華麗な動作が求められるのですが、家で飲む分には
そんな凝った動作は必要ないので、取り合えず今回は普通に
家で烏龍茶を美味しく、雰囲気を味わいながら楽しむための茶芸を紹介します。
第1課は、必要な茶器の紹介です。
家で烏龍茶を楽しむために必要な茶器は以下のもの(+ポット)です。
茶盤(茶船) 茶壷
ちゃばん(ちゃせん) ちゃこ


茶海(公道杯) 濾網
ちゃかい 茶漉し


品茗杯 聞香杯
ひんめいはい もんこうはい


茶盤
茶器を置く台。台の下に、排水の為の容器(茶船)を取り付けられます。
その為、茶盤自体をひっくるめて茶船と呼ぶことが多いです。
茶壷
日本で言う急須。茶葉を入れてポットの湯を注ぎ、茶海に注ぎます。
茶海
茶壷の茶湯を移す大きな杯です。
茶壷から直接茶杯へ湯を注ぐと味の濃さにムラが発生するので、
茶壷の湯は一度茶海に注ぎ、茶湯の濃さを均一にします。
そして、それから茶杯へと注ぎ分けます。
濾網
茶壷には濾過の機能がないので、この網を茶海に被せます。
品茗杯
茶の味を楽しむための杯。
聞香杯
茶の香りを専門的に楽しむための杯。
品茗杯で香りを楽しむこともてきるので、無いなら無いで構いません。
ポット
写真にはありませんが、湯を沸かすポットが必要です。温度調整できればベスト。
中国茶芸用の「随手泡」と呼ばれる小型のポットを用意できれば更に便利です。
取り合えずこの7つの道具があれば、家庭で十分に中国茶を楽しめます。
これらの茶器は中国茶芸専用のものでなくても構わないと思います。
例えば茶盤が無ければ代わりに大き目の排水用の容器(どんぶりとか
茶碗)を用意します。
濾網は日本茶の茶漉しで代用可、聞香杯は無くても良いです。
ただ中国茶の雰囲気を楽しむためには、やはり中国茶芸用のものを
用意できれば最適です。なお、初めて中国茶用の茶器を買う場合、
写真のようなガラス製か磁器のものをオススメします。
別の機会に改めて紹介しますが、初めて買う場合に陶器は
避けた方が良いでしょう。
緑茶、白茶、黄茶、紅茶、黒茶、青茶(=烏龍茶)の各それぞれに
決められた作法があるのですが、先ずは烏龍茶の作法から入ってみましょう。
茶芸も奥が深く、本格的にやるとかなり凝ったものとなります。
茶芸師には華麗な動作が求められるのですが、家で飲む分には
そんな凝った動作は必要ないので、取り合えず今回は普通に
家で烏龍茶を美味しく、雰囲気を味わいながら楽しむための茶芸を紹介します。
第1課は、必要な茶器の紹介です。
家で烏龍茶を楽しむために必要な茶器は以下のもの(+ポット)です。
茶盤(茶船) 茶壷
ちゃばん(ちゃせん) ちゃこ
茶海(公道杯) 濾網
ちゃかい 茶漉し
品茗杯 聞香杯
ひんめいはい もんこうはい
茶盤
茶器を置く台。台の下に、排水の為の容器(茶船)を取り付けられます。
その為、茶盤自体をひっくるめて茶船と呼ぶことが多いです。
茶壷
日本で言う急須。茶葉を入れてポットの湯を注ぎ、茶海に注ぎます。
茶海
茶壷の茶湯を移す大きな杯です。
茶壷から直接茶杯へ湯を注ぐと味の濃さにムラが発生するので、
茶壷の湯は一度茶海に注ぎ、茶湯の濃さを均一にします。
そして、それから茶杯へと注ぎ分けます。
濾網
茶壷には濾過の機能がないので、この網を茶海に被せます。
品茗杯
茶の味を楽しむための杯。
聞香杯
茶の香りを専門的に楽しむための杯。
品茗杯で香りを楽しむこともてきるので、無いなら無いで構いません。
ポット
写真にはありませんが、湯を沸かすポットが必要です。温度調整できればベスト。
中国茶芸用の「随手泡」と呼ばれる小型のポットを用意できれば更に便利です。
取り合えずこの7つの道具があれば、家庭で十分に中国茶を楽しめます。
これらの茶器は中国茶芸専用のものでなくても構わないと思います。
例えば茶盤が無ければ代わりに大き目の排水用の容器(どんぶりとか
茶碗)を用意します。
濾網は日本茶の茶漉しで代用可、聞香杯は無くても良いです。
ただ中国茶の雰囲気を楽しむためには、やはり中国茶芸用のものを
用意できれば最適です。なお、初めて中国茶用の茶器を買う場合、
写真のようなガラス製か磁器のものをオススメします。
別の機会に改めて紹介しますが、初めて買う場合に陶器は
避けた方が良いでしょう。
カレンダー
フリーエリア
最新記事
(12/13)
(11/18)
(11/16)
(11/12)
(11/11)
最新TB
ブログ内検索
最古記事
(11/02)
(11/02)
(11/02)
(11/04)
(11/06)
プロフィール
HN:
たかひる
性別:
男性
職業:
北京の大学生(文学部)
趣味:
中国茶・旅行
自己紹介:
北京で文学部に在籍中。
中国茶の勉強を開始しました。
中国茶の勉強を開始しました。
カウンター
アクセス解析
